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夕凪の書留所

ただのヌルゲーマーの日記帳です

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ライザのアトリエ所感1。(ストーリーについて)
ライザのアトリエ、サイコーーーーー!!!!!✌('ω')✌



ということでね。ライザのアトリエを無事クリアいたしました。

攻めたキャラデザをしてきたり(いつも通り感もありましたが)、いつになく宣伝を打っていたので本気度合いは伺えていたのですが
それに似合う出来だったと思います。いやーやっぱり好きなゲームの新作って楽しいですよね。買ってよかった。
なんでも店舗で品薄になっているところもあるようなので滑り出しとしては大成功なんじゃないですかね?
良い所悪い所含めて細々としたところは無くはないのですが、それは別の話で。




さて、熱が冷めないうちに感想を書こうかなと思っていたのですが、Twitterで話題になっていたこととして

「グズマのアトリエ」

というワードが飛び交っていたのはご存知でしょうか。
画像でいうとこんな感じのやつ。


自分はポケモンの方には明るくないので軽く調べた程度なんですけど、簡単に纏めるなら
「田舎の島国という閉鎖された空間での閉鎖的な生活」
で起きるつまらないしきたりや圧力で個人の思いが潰されるかもしれない、そんな恐怖感と言ったところでしょうか。
(あってますかね?違ったらごめんなさい。)

この辺の解釈を巡って「大体あってる」やら「いやそんなことない」やら「アトリエでも過去にあったんじゃないの」やら
色々な憶測が飛び交っているので、自分なりに今回のストーリーを考察してみました。
それなりにアトリエシリーズは遊んできてますが、あくまで一個人の考察なので軽く見てもらえればなと思います。
※ネタバレを含むので、未クリアの人は注意していただければと思います。



さて、今回のストーリーについてですが、結論から言うと

中らずと雖も遠からずな、最近のアトリエにしては重めな内容

であったことは否定の仕様がないと思います。
じめっとした圧力をかけるシーンやよそ者への(主人公を盾とした)バッシング、子供に手をあげる親等々……
ただ、一つ一つの要素について見てみると、田舎を起点にしていることや色々と面倒な人物の有無といった点については
過去作になかったわけでは無かったりします。

例えばトトリのアトリエの出発地点はなんてことない漁村ですし


リディー&スールのアトリエでは主人公の父親がトンデモ野郎だったりしますからね

(まあこうなった理由はちゃんとありますが)


と、いった理由から環境や周囲の人物のせいでストーリーがこのような形になったわけではないと考えています。
じゃあどこに重たくなるような、ライザ達の動きを阻むような流れが出たのかというとそれは

錬金術の特性と、錬金術に対する認知度

ではないかと考えています。
プレイ中、またはクリア済の方は一番最初のライザがどうだったのかを思い出すと分かると思いますが
彼女はスタート時点では錬金術士ではなく、また錬金術の存在すら知らないただの農家の娘です。
敵に襲われた時に割って入ってきたアンペルが投げた爆弾(フラム?)が切欠ですからね。

当然ながら島には錬金術なんてものは知られていませんし(ブルネン家は知っていたかもしれませんが)
この「舞台となる場所と人物に錬金術の情報が無い」というのはアトリエシリーズでは無かった設定になります。

ちなみにこのシリーズにおけるスタート地点での主人公/舞台設定に対する「錬金術」の扱いは以下の通り。


ザールブルグ:主人公が錬金術士/学問として扱われている
グラムナート:主人公が錬金術士として認知されている/主人公以外の錬金術士が存在している
イリス:主人公が錬金術士/錬金術が先祖から受け継がれていたり等々
マナミケア:錬金術を取り扱う学園に入る/舞台が錬金術を取り扱う学園である
アーランド:主人公が錬金術士/アトリエを構えていて認知済
黄昏:(事情込みで)主人公が錬金術士/主人公以外の錬金術士が存在していたり過去の技術として認知されている等
不思議:(フィリスを除き)主人公が錬金術士/世界観として錬金術が認知されている


……と、こんな風に何らかの形で錬金術が「ある」ものと考えられてきたのがこれまでのアトリエシリーズでした。
例え場所が田舎や異世界であっても知られてはいたんですよね。

ところが今作ライザのアトリエでは錬金術そのものが「ない」ところからスタートしています。
正しく言えばあったのですがそれは認知されておらず、秘密裏に「隠すべきこと」として処理されていました。※ストーリー後半参照。
そんな場所に外の世界からよく分からん方法でモノを作る人がやってきて、その「奇妙な魔術」が
村の人に伝播され始めたらどう思うか、というのは想像に難しくはないでしょう。

勿論村社会であることや良くも悪くも生々しい住人達のパーソナルが絡んだこともありますが
魔物がいても自警団で退治ができる、それこそ「怪物などこの場所には関係ないと言えるような」ところで
無から有を生み出す「奇妙な魔術」が流れてきたらと考えると実は言われる程の話ではないのかな、とも思います。
悪く言えばゲームっぽくない、良く言えばこのシリーズにおける錬金術について新しい見方ができる内容だったのかなと。




ところで、アトリエシリーズの始まりとなる「マリーのアトリエ」のOPにこんなセリフがあります。

「光と闇、秩序と混沌 そして剣と魔法の入り交じる世界があった
 伝説的な英雄と世紀末的な怪物が激しくぶつかり合う世界……
 今まさに、世界の興亡は彼ら――選ばれた者たちの手に委ねられようとしていた
 だが――そんな英雄物語は彼らに任せておけばよいのだ
 世界の大半の人間には英雄も怪物も関係ない
 自分たちに出来ることをやり 今日を平和に生きることが出来れば
 皆それで満足なのだから……」

そして、2作目である「エリーのアトリエ」のOPではこんなセリフが紡がれています。

「初めは誰もが無力だった。
 不死身の勇者も、高名なる錬金術士も、王室料理人も
 初めは何の力もないごく普通の人間だったのだ。
 だが、彼らは誰よりも夢や希望を強く抱き、追い続けた。
 だからこそ世に名を轟かすほどの存在になれたのだ
 夢は追いかけていればいつか必ず叶うものなのだから・・・」

20年以上前のゲームのOPですが何故でしょう、どこか今作に繋がるところがあると思いませんか?
次回は個人的に思うアトリエシリーズの本質と絡めた、今作の感想について書きたいなと思います。

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