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夕凪の書留所

ただのヌルゲーマーの日記帳です

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長期的な観点を持っていこう
寝なきゃいけない時間に何を書いてるんでしょうね?これ。


当たり前のように見えて案外欠落していそうな「長いスパン」で物事を考えてみる話。
運悪く(?)このブログに辿り着いた人は「あーこういうのあるかもなー」程度の話で見て欲しいかな。


ぼくのタイムラインで最近大きな影響を生み出した出来事として、アイドルマスターシンデレラガールズ スターライトステージで発表されたイベント

『Fascinate』

があった。

以前ブログにも書き留めたけど、まあ揉めた。ぼくも最初見た時はなんだよこれと思った。
運営に罵詈雑言を浴びせる人もいたし、残念ながら新アイドルをコケにしたような発言をした人もいた。
が、時間が経つにつれて話の流れは緩やかになり、なんだかんだである程度受け入れられたのかな?と
感じる程度にはいつもの落ち着きを取り戻したように思えた。
(少々タイムラインを整理したのもあるとは思うが)

まあ一部ではあーだのこーだのあったみたいだけど、終わってみたらアクティブ数は
32万人を超えてたので(324559人)前評判を考えれば及第点だったと思う。
また、このイベントに限って言えばOPコミュを見ればアイドル二人はお迎えできる
(≒イベントに触れず終わらせることもできる。曲はまあ某所で貼られるし)ので
その事を考慮しても十分なのでは?と思っている。
(PCS二曲目のPalleteや歌詞解釈であれだけ揉めたのに伸びたガルフロと比べるから分が悪く見えるのであって
銀イルカやStarry-Go-Roundと並ぶ数値を叩き出したと考えれば掴みとしては上々でしょう。と思った次第。)
※参考としてこちらのサイトの記事を拝見させてもらいました。

じゃあ二人の新アイドルは成功したのか?と言われると「短期的には」そうかもしれないし
見る人によってはそうじゃないかもしれない。
そして個人的には次のイベントに出た時が本当の勝負だと思っていて、
「長期的に見て」どうなるのかは今回のイベントの件とは別問題とも思ってる。
良くも悪くも話題性で飛び込んできた二人がシンデレラガールズの世界観に馴染んで、
二人が別々の行動をとった時こそ真価が問われる。そう思っているからだ。


さて、なんでこんな話をしたのかというと
「ぼくってイベント発生直後の影響に引っ張られやすいな」
と思ったからだったりする。悪く言えば感情に振り回されやすい。

最近はなるべく抑えるようにはしてるけど、自分の考えとは違うものが出てくると反発がでそうになることがありまして。
今以上に尖っていた時にボロクソ(オワコンだの絶対廃れるだの)言って離れたのが
『LoV』や『艦これ』や『グラブル』だったんですけど
『LoV』は(アクティブ増減は分からないけど)なんだかんだで残ってるし『艦これ』はなんか凄いことやってるし
『グラブル』に至ってはどの面下げてやってきたんだと言われてもおかしくない程度には
のこのこと戻ってきて再び触っている始末。
(実際良くない見方をしているフォロワーもいると思うので、この場を借りて謝罪します。)

今にしてみると「これがカンフル剤だったのかもしれないなあ」なんて思うこともあるけど、
当時の自分からしてみれば運営の手によって環境が壊される""ように見えた""のかもしれない。
残念なことに頭が瞬間湯沸かし器なところがあるし、どれもそれなりに入れ込んでいたので尚更だった、と思う。
もしくは単に入れ込んでいたつもりだったのかもしれないです。
(入れ込んでいて、かつ動揺しない人が正直羨ましいとすら思います。)

ただ、これは許されないと思ってやめたらやっぱりサービス終了した例もあって
自分が体験したケースだと『蒼ガレ』のオニャンコポンがそれだったという。
当時のプレイヤーにこの話すると大抵同じ顔すると思います。多分。

例として「誰が見ても揉めるけど馴染めば意外とどうにでもなる例」と
「誰が見ても揉めるし本当に不味い例」を挙げてみたのですがってこの二つって本当に紙一重なんですよね。
どこで差が出るのかというとユーザと運営の関係やゲームで言えばゲーム自体の環境、
入手何度、代替案の有無、対抗手段等があるし、外部要因としては競合相手の状態とその時によって色々な要素が組み合わさる訳で。
よく新キャラがヤバそうな時に使う言葉として「書いてあることが強い」ってのがあるんですけど
それが本当にヤバいのかは動かしてみないと分からないのが本当のところなんですよね。
「見てから叩け」「まずは食べてみろ」なんかと考えは一緒なのかもしれない。
そしてそれが本当にヤバかったとして、誰もが手に入れられるものであれば一周してバランスはとれますし
代替案があればそこで吸収ができるので意外と収まるところに収まったりします。
故に、短期的な考えに捕らわれず長期的な考え方「も」持たないといけないなと思うワケです。
(勿論、長期的に見すぎて目前の課題に対応できないのも良くないので。)

じゃあどうすれば落ち着いて考えられるのか?って話になりますが
ぼくの好きなセリフとしてこういうのがあります。

『当たり前の事は一番正しいこと。
人によって当たり前が異なるだなんて言うけど、そんな上っ面の常識レベルの話ではないのです。
死者はあの世に生者はこの世に。妖怪は人を襲い人間は妖怪を退治する。
本当の当たり前は誰から見ても同じ究極の真実だ、って教えられてきましたから』
(東方文花帖より)

これ、中々凄いこと言ってるなと思ってて。
そもそも口に出さなくても分かるような「根幹を成していること」が正しく機能することが大事って言ってるんですよね。
(その少し前に根幹がブレたら大変なことになる旨のセリフも言ってます)
何かが出てきた時に「根幹を成していること」に問題が出るのかどうか、問題があるのなら
どのくらい根幹に影響して、それが収束できるのか否かを考えればいいんじゃないかと思ってます。
それでも小言を言いたくなる時はあるので、それは愚痴(本来の意味で)として吐いちゃえばいいのかなって。
まあ、好きなコンテンツで根幹が脅かされそうなことが起きてるのが悩みの種なんですけども。某野球チームのショートとか。

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